”ながら思考”で半歩前へ

 このサイトを作って、というかちゃんと記事を書き出して3ヵ月。毎日更新できているわけではないけれど、いつも机の上のモニター画面の前に座ってばかりだと疲れてくる。疲れてくるというよりかは、足を動かさなさ過ぎて気持ち悪くなってくる。

 そんな時は外に出てそこら辺を徘徊していると自然と思考が進んでまとまってくる。

違う角度から考えたりできるようになったり。否定的だったことも、いったん飲み込めたりする。これは特段、最近発見したわけではなく前から知識として何となく知っていた事。ちょっと有名な人物が実は歩きながら考え事をしている的なエピソードだ。

 たしか初めてそんなたぐいの話を聞いたのが、ベートーベンはよく散歩しながら作曲をしていたという話。とても活発に歩き回っていたとか。

 なので頭では理解していた。しかし最近実際に経験・体験してみて改めて本当だと感じるようになった。

 そしてそれは何も、歩いたり散歩したりするだけではなく何か”別の作業をしながら”考えごととすると、ずっと座って考えているよりも考えが前に進み、まとまってくるのだ。

 具体的に自分がやっている事は、洗い物・ランニング・掃除をかける、そういった作業だ

 ただし、これは何でもいいわけではない。”他の物事を考える余裕があるくらいの作業”が最適だと考えている。つまりそこまで深く考え込まないでいい作業が最適だとおもう。

 この何かをしながら考え事をする”ながら作業”の効果は「なぜ歩きながら考え事をすると効果的なのか」的な分析をしているサイトやページはいくつもあるので割愛する。

 参考 なぜ歩きながらだと考えがうまくまとまるのか? – GIGAZINE

 

 ちょっと違った角度でよくある出来事に置き換えてみるとストンと納得できたのでこのブログではそれを紹介してゆこうと思う。

 例えば、修学旅行の時の移動のバスとか遠足とかで次の場所に移動する時、なんでもない話をして盛り上がったりした経験はみんなあると思う。本当にどうでもいい話とかしりとりとか、バス内ならトランプをすることもあるだろう。

 または、学校で先生が休みになったり何かほかの理由とかで自習になったりすることがあると思う。そういう時は本当に何でもない話でも楽しいし、なぜか盛り上がってしまう。

 でも逆に、移動中や自習中に話したどーでもいい話の為に、わざわざ友達と集まる約束なんてあんまりしないし、もし改めてそれだけの為に集まったとしたらせっかく集まったのにもったいない気持ちを感じたり、それを埋める為に何か実りのある話や行動をとるはずだ。

 また他の例えでいえば、小説やノンフィクション・自己啓発本等、活字メインの本なんかは通勤や通学の電車内でしか読まないという人も結構いるのではないだろうか

 以上の例をひっくるめて考え付いた事それは、

 なにか”明確で簡単な目的”がある上で、それとは別でする行為。それこそが自由に物事を膨らませる方法なのではないだろうか

 メインの目的外で”無責任に”または”身軽に”、”自由に”考える事が重要なのかもしれない。考える事を真ん中に置いて集中するのではなくて、脇に置く感覚を持つとおのずと解放される。そんな気がした。

 しかもこれは、物事をインプットする時にも効果的だ。自分は世界遺産検定1級を12月に控えているので散歩や掃除に励みながら頑張りたいと思う。

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